2010年11月14日日曜日

逢妻交流館


実家の近くに、今年プリツカー賞を受賞した妹島設計事務所の作品がある事を知り早速訪れた。
ネットでは中々アクセス方法が判らず、本当にこんな渋い場所に妹島建築があるのかと不安ではあったが、近づくと唐突にすぐにそれと判るプロポーションが姿を現した。

愛知県豊田市にある、逢妻交流館という施設。舞台や会議室、ちょっとした図書館が併設された市民のための複合施設。まだ建物自体は新しくとても綺麗な状態である。

やはり、SANAA名義の金沢21世紀美術館を彷彿とさせる建築。綺麗な曲線を描くガラスの壁が内と外の境界線を曖昧にしていく。




建物の形状から使いにくいとかメンテナンスが大変といった声が多いという。

建物としては完成度が高いのに、内部空間は通常の家具を使っていたり、安全上の問題からガラスの壁には養生テープが張り巡らされていたりとちぐはぐな印象をうけ、非常に残念である。





建築を歩く限りでは回遊性が高く進むたびに異なる風景を映し出す建物の自由度に、とても軽やかな気分を感じ、わくわくする建物だと感じる。
実際に住んでみなくても、多々不便な事が生じるであろう事は用意に想像できる。しかしながらそれを補うだけの魅力を備える事がこの種の建築に託された義務だろう。




折角の開放的な建築なのだから、若い世代が積極的に使えるような環境づくりを行い、ここで感性を磨いてほしい。

2010年1月21日木曜日

中国の民主化はいつか?

googleによる中国市場撤退への動きを見ていくと、ストーリーこそ違うがイラク戦争と似たような構図を見いだす事ができる。それはアメリカ対社会主義国というものである。google対中国、この抗争が中国民主化を促進するためのアメリカサイドの布石と思えてならないのだ。

私がこのような書き方をするのには理由がある。

まず今回の一連の事件は中国「から」のgoogleに対する攻撃によってgoogleは中国からの撤退を余儀なくされたというのが表のストーリーである。

しかしながら今まである程度の均衡を保っていた中国政府とgoogleの間に先行して仕掛けたのはgoogleである。検閲という形で中国国内ではアクセスする事ができなかった天安門事件やダライラマなどの検索結果をオープンアクセスにするという形で牽制した。

政府がgoogleに対して要求してきた検閲を無視したという事実に怒った中国は人権運動家のgmailアカウントをハッキングするという抵抗にでる。(今の所わかっている事実は中国からハッキングされたという事実だけであり、行為は誰によって行われたのか不明。)自作自演の可能性も無いとはいいきれない。(do not be evilという信条を信じたいが)

この騒動に対しgoogleは中国市場からの撤退というドラマチックな演出で事件に華をそえている。
この行為によってgoogleのブランドバリューは中国で、世界中であがることだろう。
更にこの決断自体も資本主義を夢見る中国在住の人々に取っては十分に刺激的なはずだ。

事実googleは中国のサーチエンジンシェアでは20%-30%に満たず、残りのシェアはローカルの百度に奪われている。(モバイル端末からのアクセスではシェアは逆転するのだが)。中国のような制限の多い国で、ローカルとまともに闘いシェアを回復させるには割にあわない努力が必要である。それよりも、例えいったん撤退したとしても中国での民主化=オープンアクセス化を一刻も早く実現させてより有利な環境下で再度参入した方がリターンが大きい。アメリカの得意なルールを変える戦略である。

また利害関係もアメリカ政府と合致する。中国のような大きな市場をコミュニスト達に牛耳らせておくにはもったいない。

このような理由から、一連の騒動が目指す先は中国の民主化に帰結するだろう。
さて、中国革命はいつだろう。




2009年6月22日月曜日

新聞紙

 新聞とのつきあい方について考える。メディアの中で、ある種特権的な地位を持つ新聞についてはあらゆる角度から議論が可能であろうが、今回は純粋に紙媒体としての新聞の未来について考えたい。
 というのも月に4000円近く紙面に支払い続けているのにどの程度の意味があるのかとふと疑問を持ったためである。特に不便な訳ではないし、必要な情報が毎朝届けられるというシステムには意欲さえあれば常に世間にキャッチアップできるというメリットは十分に享受しているつもりだ。しかしながらこれだけの機能、つまり情報のインプットとしての、を得るのには果たしてこの紙媒体がベストなのだろうか?
 仮にネットから全く同じ情報を有料、無料は問わず手に入れられるとしたらそれで事が足る事なのか?費用対効果も含め検証してみたいと思ったからである。
 新聞とは、一日のハイライトを伝えるための媒体であると考える。例えば、ネットブックを購入して常にオンライン状態を確保するので月に¥5000〜¥6000かかる。これを新聞代と置き換え、随時アップデートされるニュースに触れることができる環境を確保できればそれでいいのだろうか?
 利便性も含めて検証する価値はある。今後の課題にする。

2009年6月20日土曜日

devicestyle brunopasso

 バリスタ時代の私が最も好きだった仕事の一つがドリップコーヒーのグラインドである。
 理由は単純にコーヒーの香りを最もよく感じられる時間であったからだ。カウンター内では常時大きなエスプレッソマシンが濃厚なエスプレッソを抽出し、コーヒーメーカーが甘美な液体を抽出し続ける。そんな状況にも関わらず、コーヒーの甘い香りはあまり感じられない。スターバックスに入った瞬間を思い出してほしい。意外にもコーヒーの香りはその物自体を目の前にするまで感じられないはずだ。
 それはバリスタの私たちも同じである。嗅覚の慣れもあり、コーヒーの香りを楽しめる時間は限られたものになる。その貴重な時間の一つがこのグラインドの時間である。それぞれのコーヒーの香りの特徴を特別感じられるこの時間はバリスタのみに与えられた特権であると考える。

 さて、本題に入るが私が手に入れたのはdevicestyleのbrunopassoである。使用感は非常にシンプルで使いやすい。この製品の特徴となっている微粉フィルターも雑味を取り除く意味では効果的であろう。さすがに店舗で使っていたスイス製のミルとは精度や扱えるボリュームの面では相手にならないが、家庭用であれば十分なスペックと言える。
 問題点はグラインドの荒さの設定ができない所。一応グラインドの時間で調整可能らしいが非常に感覚的で抽象的なものとなってしまう。ペーパーフィルターのみの使用では問題ないが、いろいろな機器を使い分けるには慣れが必要か。
 私はペーパーフィルター、直火式エスプレッソ、フレンチプレスを使うので挽き分ける必要があるのだが、上手くいくか今後挑戦しなくてはならない。

 扱いには慣れが必要だが、手入れも比較的簡単なので電動ミルとしては十分推奨できる。そもそも手間のかからない、かけられないものなど嗜好品とは呼ばない。この手間で今まで感じられなかったコーヒーのアロマを楽しむ事ができるのであれば導入しない理由は無い。一つ上のコーヒーライフを。

2009年6月11日木曜日

このご時世

 内田樹先生の「昭和のエートス」にひっかかる。
 東京オリンピックによって失った物を嘆いている先生のテキストにどこか引っかかりを感じてしまった。私は決して懐古主義者ではない。それでも確かに急激な近代化によって失われた日本独自の土着の景色を懐かしむ気持ちは分からなくもない。実際に感じた事は無いが。
 先生は中国でも同じことが起きるだろうという事を予言している。大きな資本の力によればミクロの文化なんてあっと言う間に消されてしまう。当たり前の事だけど、誰もその事を言う人はいない。
 「このご時世」。長引く不況下で聞かない日が無いぐらい職場でもプライベートでも枕詞のように使われる言葉だが、もう聞き飽きた。不況下では人間は懐古主義になるものだ。多分。しかしながら世論にこの論調はあまり見られない。不況とは言うもののどこかでイノベーションが起きて急速に景気回復するのではないかという期待が燻っている。前向きな世論は非常に心強い。
 中国の話に戻るが、政府の施策により未だ高い成長率を維持しているこの国では、現在も急激な開発が進行中である。ここでも一つ懐かしい風景が消えて行く。
 そこに憂いを感じる私も、この国に投資しリターンを求める罪深い人間のひとりだ。投資自体が悪だなんて言うつもりは全くないが、こんな些細なことが矛盾を孕んでいる事に気づかされ少し切ない想いをする。

無料の冤罪

 昔の携帯電話みたいにネットブックが100円、1円になって久しい。最近ではプリンターも無料になっている。そもそもの収益の柱である消耗品の売り上げとかコンテンツにより、一層の重点をおいたビジネスが盛んになっている。携帯電話も最近はまた安くなってきたのかな。
 こういった傾向を見ていて、一番始めにこの手法を効果的に実行したのは誰だろうと考えた。結果、確証も持てないから保証はできないけどキリスト教かなと思った。だって宗教ってコンテンツビジネスの究極の姿でしょ。実体もないのに、不謹慎な呼び方だけど、サービスのみで成り立っていくような組織だから。
 僕が思うに現代で言うi phoneとかネットブックが当時の聖書に当たるんじゃないかと。聖書をほぼ無料で配布する(推測だけどそんな時代もあったと思う)ことで、人々を信者というクライアントにしてしまうから。僕たちがある特定のガジェットをプラットホームに通信料金やゲームなどのコンテンツ代金を払うのと同じように、彼らはキリスト教というプラットホームに対してお金を納めているのだろう。別に善し悪しを問うている訳ではなく、実際にそうだという事が言いたいだけである。
 こう考えると、現在のgoogleがとっているサービスを無料で提供し続ける戦略が、かつての布教戦略と比較するに値するような気がしてくる。50年後に見た21世紀最初の10年はコンテンツ戦争の時代なのかも知れない。

2009年5月31日日曜日

ten faces of innovation


調べれば調べるほどに日本の製造業が世界で持っているプレゼンスの低下に焦燥感を持たざるを得ない。グローバル企業としてしたたかに技術力を育みながら、おおがかりな投資を続けて来た韓国勢。人件費というアドバンテージで海外から生産を取り込み、ノウハウを吸収し続ける中国、台湾勢。アジアで見ればこれらの国だが、WWでみるとトルコ、インドなども今後同様の成長を遂げ、プレゼンスを高めていくに違いない。

長引く不況からより一層コスト力が物を言う時代に果たして我々が信じる物はあるのであろうか?そんななかでふと思い当たったのがイノベーションである。MBA関連の書籍では当たり前の事なのだろうが、このような状況に直面して身を以てイノベーションの大切さを理解できた。

あらゆる側面から見て現在の状況ではイノベーティブでなければ生き残る事ができない。今後製品とはイノベーションであるといっても過言でないのである。新しい製品をつくるのと同じように変革を起こすような仕組みを持った組織を作らなくては生き延びる事ができないという意味だ。

最終製品であれば何となくイメージする事ができるイノベーションもコモディティーだとどうもしっくりこない。想像力が足らないのか。